快適な住まい!

引っ越して一ヶ月が経った。


アジサイ
「ピーター・パン」

やはり、四年待って引っ越した甲斐はある。

広さはほとんど変わらないのに、何だろう?
この満足感は…


前の団地は昭和のバブル前、戦後の高度成長期に首都に人口が集中し、住む所に苦労する人々が一気に増えた時代、部屋をコンパクトにして、四畳半の面積を無理に6畳に作ったような、狭くて息苦しいところだった。3歩歩くと壁にぶつかる、そんな団地だった。狭い敷地に何世帯も住めるようにするための苦肉の策だつたのだろう。

低い天井、狭い間口、部屋の作りから通気も悪く、風呂場には換気扇もない。畳の巾も80センチに満たない。

ただ、交通の便はよく、恐らく多くの人々が、この千葉の地から都内に通勤していたのだと思われる。


今や、建物は高層化し、上へ伸ばすことによってまた、都心へ人々は集まり始めた。

ここは千葉市ですが

元々、東京生まれで、何にも考えることもなく70年間暮らしてきた私だったが、主人がいなくなると思った瞬間、初めて「ここでは暮らしていけない」と思い始めた。

仕事本位で、一切『🏠』のことを考えない人だった。
通勤に便利で、心地よく住めればそれて良かった。
自分のものであろうが借家だろうが一切関係ない。
それに、子供のいない主人の姉の家に私達が住むことになつていたのだが、様々な事情でそれも人手に渡ってしまった…

だからずっと、マンションを買う気もなく、賃貸暮らしだった。

都内はまず、家賃が高い。
主人は友達同然で、ケンカをしながらも何をするのも一緒だったので、私自身友達も少ない。子供もいない。
何かあっても頼る人も話す人いない。

で、弟の一家を頼って大移動を開始した。

初めは、千葉市花見川区の団地へ

ただ、環境は良いものの、近くに商店もなく生活するのにはとても不便な場所。車もないし、自転車に乗るには坂道が多くて、尚かつ道が狭くて危ない。

その内、高齢者向け優待優良住宅というのがあることをネットで知った。

『早く教えてくれればよいのに』
とは思ったが、遅がりし。
それらは古い住む人が減った住宅を改良したものだ。
所詮こんなものか!
とは思って、引っ越してみたものの、何としても住みにくい。

しかも、アッという間にセキセイインコが立て続けに3羽も死んでしまった。
押し入れの隅は、カビだらけ。下手をするとタンスの中までカビが入り込む。

これでは生きた心地がしない。
毎日が憂鬱で、全てにやる気が起きなくなってしまった。
完全に「鬱状態」である。

部屋のあちこちは改修して、元々エアコンを付けられない住宅に、エアコンのホースを通す穴を後で開けて、網戸を取り付け、栓をひねればお湯も出るようにしてある。

しかし、この換気の悪さは何としても辛い。一階なので常にカーテンをしておかねばならない。虫も多い。ここに居たらあと10年生きることも難しいかもしれないと思い始めた。気持ちが鬱になるわけである。

歴史ドラマ風に言う「陰の気」に満ちている…😰
ような気がする。

それに気が付いてから、直ぐに引っ越すつもりだったが、なかなか抽選が当たらない。
10回目くらいで、やっとここが当たった。

申し込んだ時には、まさかこんなコロナの感染に恐れおののく日が来るとは夢にも思わなかった。

引越し時は新型コロナウイルスで、緊急事態宣言が出る中、多くの不安を抱えながらの移動となった。

疲労とストレス(老化も🧓🏻)で、生まれて初めて帯状疱疹が出たり、軽い風邪も引いた。
熱が36.9度までしか出ず、たまたま買い置きの風邪薬で2日で熱も引いた。
完璧に疲れてしまった。

こんな思いはしたが、引っ越して来て良かった!
目一杯の生活費しか持たない私だが、それでも頑張れば何とかやっていかれるはず…

主人が亡くなって七年、やっと、私の第二の人生が始まる。

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