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3月, 2018の投稿を表示しています

セントポーリアの小さな展示会

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Ma's Happily Ever After The Alps いよいよ、今週末展示会となってしまいました。😓 ○3月31日土曜  4月1日日曜日の2日間 ○場所 東京都江東区総合区民センター 2階ロビー(都営新宿線 西大島上) ○時間 31日 10時〜16時            1日 10時〜14時30分 先着20名様に、苗のプレゼントを用意しました。 ハガキをお持ちでない方は、このブログを見たとお伝えくださいませ。 今年の東京地方は、例年にない寒さで皆思うように育てられませんでしたが、この日の為に努力しました。 一方、私も下記のような様々の事情で… お恥ずかしながら、展示会作品を手掛けて40年で、初めて失敗してしまいました。😔 だから、ショープランツを手掛けてくれなかった「会員」に何も言えません… うちの会は個性豊かで・・・私の言う通りやってくれない人が大半。 「笛吹けど踊ってくれない😌」会員たちばかりです。 例年の2/3程度の展示数ですが、ご覧いただけたら幸いです。

なるほど…

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The Alps 好きな花です。 葉に艶がなく、外側の葉は、黄ばみ、、、 これでも7枚の葉をすでに取っています。 本で調べました。 リン酸の不足。。。。 なんで〜と思うことがすべて解決! 窒素過多➕リン酸不足=私のセントポーリア 余っているからと使った肥料 まるで水耕栽培のような、私のウィック栽培には不向きでした。 さ〜て、これから何とかなる。 原因が分かったから。 正確には、葉の分析をしなければなんとも言えないでしょう。 でも、素人はこんな事で納得できる。 全て、自分のせいですね。 ごめんね。私のセントポーリア! テフロンのお鍋から出るガスだけではなくて、肥料まで、、、 セントポーリアが化けて出るかもしれませんね。 枯らして無くなったのも数鉢あります。。。。 肥培管理は難しい。 あんなに簡単に大きくしていたのが、本当に夢のようです。

原因は…

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暖かくなりましたね。 苗の育ちが良くなってきました。 我が家はガス障害から抜け出せたと思ったのですが…まだでした。 全て、今日の画像・・・・テフロンも使っていないし、ガスの可能性は皆無。 確かに、ガス障害のシミは残っています。 ところが…・ セントポーリアのラインの会の中で話し合う内に、気が付いて「カルシウム不足」を調べました。 「芯腐れ」確かにそんな症状です。 何で?😥 東京ではならなかったのに?😴 原因ですが、詳しい事は分かりませんが、 「水の違い」 と 「窒素肥料過多」 ではないかなぁ~~?????と 最近与えていた肥料は、窒素、リン酸、カリ のほとんど等量に近いものばかり。 栽培はウィック、これは昔からずっと同じでしたが、千葉と東京の水の違い。 考えも及びませんでした。 千葉市内の水はやや酸性 東京の水は弱アルカリ性 ハハハ、水かぁ〜 医師から体調不良は「水が変わったから」と言われていたのに… 花見川区にいた時は、水耕栽培用の肥料を使っていましたが、 窒素が少ないのが気になって…ここにきて変えていました。 しかもここ最近、(たくさんあるから)と、オプチマラの14-12-14を使って。😱 窒素過多は、カルシウム不足を生む 湿っている土壌では、特に起こりやすい オプチマラの肥料が悪いわけではありません。 栽培環境の違い 肥培管理の違い 等々いろいろあるでしょう。 あのピートモスだけの用土で、水やりは決まった時間に霧状に空中散布。 温室自体が、90%の湿度を保っている。 土はやや乾き気味… それで、花盛り…🌸🌸🌸🌸🌸 はい、よく分かりませんが、そのせいにしておきましょう。😓 これで治ったら、私の肥培管理のミス!😔 確かに、ウィック栽培でないものはこの症状が出ていません。😖 明日から早速 肥料を変えてみます。 どうか、そうでありますように! 今年の展示会、私の🌸はありません。 展示会の花づくり、初めての失敗です。😰偉そうなこと何も言えません。

春が来た!

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道端で(千葉市内) 道端のコンクリートの隙間で見つけた春です。 スミレ、タンポポ、、、誰が植えたわけでもない… ごく当たり前の花!でも強い! 東京のど真ん中で、生まれてから72年暮らしてきた私には、 ここ千葉の嬉しい春の景色です。 今、目の血管が切れて、ひどい状態!角膜下出血! 「重い物を持ったから!」 と言われても、一人暮らしは 持たなければ生活できません、、、 昨日は古新聞を出したし、今日も重い買い物袋を下げて・・・ どうやらまた切れたようで、少し痛みます。 はぁ〜、、脳内出血でなくて良かったのかも。 そういえば…TVの津波河川遡上 一つ間違ったら、、、あの時一緒に流されていたら。。。 2011年3月11日 何も知らずに、主人と二人で茨城県でゴルフをしていました。。。 ゴルフ場が途中閉鎖で、慌てて帰る途中、ラジオのニュースでただならぬ地震であったことを知った「のんき者夫婦」、携帯の電池は切れかけていたし、ネット接続もしてなかったので車のラジオのみが情報源。 高速が止まり、利根川の脇の県道を走って、国道に出るまで15分の道を5時間、余震の続く中を国道に出てからさらに家まで8時間、13時間かかって夜通し走って明け方自宅に着いて・・・あ~~、もう涙も枯れましたねぇ~~~ もしも利根川を津波が遡上していたら…あの場所は海から20キロ無いでしょう。 大渋滞の車はどうなっていたでしょうか? 地震を境に仕事がなくなり…それから一年半経って、主人は病気で倒れ… 私も大きく運命が変わりました。 津波でなくなった方ばかりを悼みますが、自身で仕事を失って病に倒れた人もいるのに… 地震の日のゴルフ、、、あの日を境に、全てが変わったのでしょう。 うねる大地を目の前に見て、ゴォ~~という地鳴りを生まれて初めて聞いて…津波による土埃を「不思議な雲」と思って、、、 あれからもう7年が経ちました。 全て忘れません。😢 たとえボケても忘れません… 今はスミレもタンポポも、私には「生きている喜び」です。 与えられた残りの「生」を大切に生きたいと思います。